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ピーター・ドラッカー

なおき · 2020-07-14 更新 · 1 ポイント

本名、Peter Ferdinand Drucker。ハンガリー・オーストリア帝国時代のウィーンに生まれる。1909年生まれ2005年没。

日経新聞の私の履歴書によると、「私には引退という言葉はない」と述べており、まさに晩年まで現役として活躍した。

ドラッカーが体系化したもの・ドラッカーによる造語

一般的には、マネジメントの発明家と呼ばれるが、本人は「社会生態学者」と自認している。ドラッカーが体系化したもの、ドラッカーの造語には次のようなものがある。

体系化

造語

交流のあった人物

多彩な人脈に圧倒される。少年期の交流は、父アドルフが財務省高官であったため、自宅が政治家・学者・銀行家たちのサロンとなっていたためである。

オーストリア時代(1909~1927)

ドイツ時代(1927~1933)

イギリス時代(1933-1937)

アメリカ時代(1937-2005)

知日派

知日派としても知られる。

日本

1933年ロンドンで開催されていた日本画展で日本画に魅せられ、日本画を収集していた。後にクレアモント大学では日本画の講義を受け持っていた。

1959年初来日は、日本事務能率協会からの招待だったが、日本画見たさという動機からでもあった。

交流のあった日本人

ドラッカーの著作の日本語訳を手がける上田惇生とは親交は深い。晩年の「はじめて読むドラッカー」4部作は、上田がプロデュースに参加しており、日本で最初に出版された。

略歴

1909年、オーストリア・ウィーン生まれ
1927年、ドイツ・ハンブルグへ、後にフランクフルトへ(1929年)
1930年、フランクフルト夕刊紙で記者としてデビュー
1933年、ナチス迫害を逃れ、ドイツからイギリスへ移住
1937年、ドリスシュミットと結婚、後に4人の子供をもうける
1937年、アメリカに移住
1939年、処女作「経済人の終わり」出版
1942年、ベニントン大学教授
1946年、GM研究の成果「会社という概念」出版、分権制を提唱
1949年、ニューヨーク大学教授
1950年、GM CEOチャールズ・ウィルソンと協力しGMの企業年金基金創設
1954年、「現代の経営」出版、マネジメントの体系化
1959年、初来日
1963年、「日本は二度目の奇跡を目指す」ハーパーズ・マガジン
1966年、勳三等瑞宝章授与
1969年、「断絶の時代」、民営化
1971年、クレアモント大学
1973年、「マネジメント」出版、マネジメント研究の集大成
1976年、「見えざる革命」出版、米国こそ史上初の社会主義国家である。
1985年、「イノベーション起業家精神」出版
1993年、「ポスト資本主義社会」出版
1999年、「明日を支配するもの」出版、ビジネスの前提が変わった
2000年、「はじめて読むドラッカー」シリーズ
2005年2月、日経新聞、私の履歴書
2005年11月、永眠

関連リンク

ドラッカー学会>

主な出典

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ドラッカー20世紀を生きて―私の履歴書 (私の履歴書)
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