レディファースト
現代における意義
男尊女卑とか権利とかはあまり関係ない。
レディファーストは相手に対する「気づかい」であり「おもてなし」である。レディファーストが自然にできる男性はもてる。男性であろうと女性であろうと、気を使ってもらって、悪い気はしない、いや、気分がいい。
気分がよければ、相手に対して好意を持つ可能性が高くなる。結果的に、レディファーストのマナーを身に付けた男性はもてることになる。
我流歴史的解釈
身動きがとりづらいドレス説
体力の問題もあるが、ヨーロッパの女性貴族が身動きのとりづらいドレスを着ていたことも要因ではないだろうか?
では、なぜ身動きのとれないほどのドレスを着飾るようになったかを考察する。
拘束説
「身動きのとりづらいドレス」は、女性を拘束するための手段という考え方もある。拘束せざるをえなかったのは、女性が子供を産む性だからである。
医学が発達する以前、女性が妊娠・出産すれば、産まれた子供の母親は出産した女性だと分かるが、父親が誰だか分からない。父から男児に家督を継承する時代が続いたため、産まれた子供の父親が誰であるか、確定する必要がある。その方法が、結婚した女性を他の男性から隔離する、拘束することだった。
実際、江戸時代の大奥がそうだし、源氏物語に出てくる光源氏が囲った女性達も、決して屋敷の外を出歩くことができなかった。ヨーロッパの貴族社会も同様ではないだろうか?
外を出歩かなければ、つまらない、ストレスはたまる、結局たしなみは、着飾ることしかなくなる。
着飾り競争説
しかし、拘束するために、身動きのとれないほど着させられたのだろうか?
大奥のシーンも源氏物語も、無理に着させられたという印象がない。
どちらかというと、女性同士、着飾るのを楽しんでいるように伺える。着させられて拘束されていたというよりも、どうせどこへも行くことができないし、着飾り競争をしているうちに、だんだん着物・ドレスが重くなっていってしまった、というのが実態ではないだろうか?
宮廷晩餐会説
いづれにせよ、身動きがとりづらいほどの着物・ドレスを着ていたのは事実だ。
日本の平安時代の寝殿造りや江戸時代の大奥では、本当に出歩く機会がなかったが、ヨーロッパの女性貴族は、シンデレラ等でも表されているとおり、見初められるために馬車に乗って晩餐会に参加した。
男性貴族も、当然、女性貴族を目当てに晩餐会に参加する。このような状況で、目当ての女性を口説くにはレディファーストは必然だったのである。
結論:やはりもてるための手段だよ
なぁんだ。ここまで我流で歴史的解釈を思考してみたが、現代と変わらない、「もてるため」という結論になった。