配慮がない
ソーシャルメディア上で、「配慮がない」と人に向って使ってはいけない。その態度こそ、配慮に欠けたものではないか?
Twitter上での出会い頭
Twitter上では、「出会い頭」の衝突がたびたび起きる。そこで「配慮に欠けた」と自分が認識したツイートを見かけることになる。
しかし、そのツイートに対し、即座に「配慮がない」と返信することは禁物である。相手がどういう人物でどういう意図でどういう文脈でそのツイートを行っているかは分からない。また、「配慮がない」という言葉自体が、「配慮がない」。
自己認識の押しつけ
結婚を推奨するツイートを述べていたところ、「世の中には親の介護につきっきりで結婚したくてもできない人もいる。あなたは配慮がない。」と言われたことがある。よくよく話を聞くと、彼本人か彼の友人に実際そのような人がいるらしく、過敏に反応したようだ。
出会い頭というのは、こういうことだ。自分の文脈で勝手に読みかえてしまう、読み違えてしまうことがある。バカにされた気持ちになって「あなた、私のことをバカにしたでしょ。」と言っているのと同じで、「自分の認識」でしかない。相手に配慮を求めることは、自分の認識を押し付けることに繋がる。
言葉狩り
人の言葉の一部を切り取って配慮を求めると行為は、言葉狩りであり、言論の自由を奪うことになりかねない。
愛が必要
相手に配慮を求めてよいのは、どういう意図でどういう文脈で述べているかが分かった時で、かつ、相手に対して愛を持って接し改善を促す時だけである。愛をもって接している以上、「配慮を求める」のであって「配慮がない」という表現には決してならない。
「配慮がない」は「配慮がない」
つまり、「配慮がない」という言葉そのものが「配慮がない」のであり、自分のことを棚にあげたきわめて自己中心的な言葉である。だから使ってはいけない言葉なのである。