2008
言葉にできない時ほど、どうにか言葉にして残しておこう
2008年3月。僕は
「情報を自ら発信したい人は
ある程度発信の仕方を知ってしまった今、
次は自分からは発信しないけど、
聞かれたら答えるし、ネットで配信してもいいよという
人にインタビューするのが熱い」
的な記事を書きました。
これは僕が就職活動時代に
説明会やリクナビでは聞けない社会人の生の声を
インタビュー活動を通して知ることができた経験から
自然に出てきた考えだと思い込んでいました。
しかし、
先ほど2005年ごろまで更新していたサイトに
下記の記事を見つけた。
http://245.pandeiro.jp/index.php?%A5%A4%A5...
そこには当時べた惚れしてしまって
当時よりさらに3年前の記事まで遡って記事を全部読みきった
jkondoさんのブログ記事にリンクが貼られていました。
そしてそこには
インタビューの内容がホームページに掲載されて思ったのが、世の中には「人に知られたいけど知ってもらえる機会が無く眠っている言葉」が無数にあるのだろうなということです。僕は今回の内容の中で、できれば色々な人に聞いて欲しいなと思っていた部分があるのですが、だからといってそれを知ってもらえる機会や努力というのがいつもしているわけではなくて、友人が「君の話を聞いてあげよう」という行動に出てくれたからこそ、その機会が与えられました。
インタビューというのは、そういう眠っている言葉を探し出して、掘り起こしては世に出していく作業だなあと感じたわけです。彼は自分の趣味でこれをやってくれているのですが、ぜひ今後も楽しい話を掘り起こして教えて欲しいと思って応援しています。
http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20020416
とありました。
これを見てメモしたのが2005年。
例の日記を書いたのが2008年。
3年の間、このjkondoさんの記事は僕の潜在意識の中にあり、
2008年に顕在意識として表面化したのです!
すごい発見だと思いました。
「興味を持って熟知してからの情報より
それに興味を持ち始めた時の
『なぜ興味を持ったのか?』といった
情報の方が大切」
といったことを糸井重里さんやキッズプレートのもでっちさんが
言っていました。
よく
「マインディアは自分の辞書を作るサービスなんです」
と説明すると
辞書を書くほどまだ私は熟知してません
と言った感想を聞かされることがあります。
便宜上わかりやすいので「辞書」と説明していますが、
本当は辞書ではなく「ブック」と読んでいます。
時には「ノートブック」つまり
メモをするノートにもなりえるのです。
直感的に面白いと思ったものをどんどん書いて言って欲しいと思います。
後で絶対大切な情報になると思うので。
2005
【国際協力】青年海外協力隊
おーくら君と
青年海外協力隊の説明会へ行きました。
協力隊の募集人数は年間800人。
そのうちの新卒で採用されるのは
2割の160人だそうです。
ちほさんからは
協力隊になるのはそんなに
大変じゃないと聞いてたんだけど、
今日のOBの方に話によると
新卒で採用はかなり難しいとのこと。
どないなんでしょ?
僕が話せたOBさんは
普通にエンジニアとして
働いてて
協力隊へ行ったという人。
プログラマーです。
タイのネットワークを構築
するために派遣されたけど、
実際行ってみると
すでにネットワークが完成していて
セキュリティ強化したりして
2年間すごしてんて。
色々貴重なお話が聞けました。
やっぱUNIXは使えないとなーと思いました。
あ、そうそう、
協力隊に関する映像も見せてもらったよ。
バングラディッシュへ派遣された人の話。
その人の前任者は
その国で何も形にできなかった。
しかし、実際派遣されると
その前任者がその村人の心を掴んでいたことがわかった。
その人の事を聞くと泣き出す人もいたそうだ。
そこでその人は
「形ではない」ことに気づいた。
それがその人の原点になったのだ。
とか色々。
僕が協力隊へ行くとすれば、
そのプランは3つある。
1、新卒で派遣されてから帰国後就職する。
2、大卒後就職中、「現職派遣」といって2年間会社から時間をもらって派遣される。
3、大卒後就職し、社会経験をつんだ後、会社をやめ、派遣されてからまた就活する。
僕は今まで1しかありえんと思ってたけど、
説明会の中で2や3もアリかと思った。
2に関して、
NTTやオラクルは
協力隊を推進してるらしい。
ここらへんも考慮に入れて
就活しななぁと思った。
てか毎週水曜日にある
就活説明会一度も参加してないんですけど、
いったい何やってるんですか?
若干心配やけど、
他にやる事が多すぎて
正直就活に手が回っていない状態です・・・。
1895
レントゲンがレントゲンを作った