しかしストーリーが複雑で小学生には理解できるはずもなく、わけが分からないまま全50話を見ました。その後のZZも見ましたが、やはり理解できませんでした。
「ファーストガンダム」が第二次世界大戦的な「歴史」のリアリティに支えられていたとするならば、「ゼータガンダム」のそれは戦後的な「いま」のリアリティなのだ。
「ゼータガンダム」は「自意識過剰の90年代」を予見した作品である。事実、90年代に世界は「ゼータガンダム」そっくりになった。しかし逆にこの90年代には、その時代を映し取る鏡としての物語からどんどんこの「きしみ」が排除されていったことに注目したい。と、いうよりもこの「ゼータガンダム」のようにリアルに、それも徹底してこの「きしみ」を描いた作品が90年代にあっただろうか。これをシニカルな態度だと断罪するのは簡単だ。だが、21世紀にあえてこの作品を見返すときに大事なのは、この「きしみ」からどうしてみんな目をそらしたかったのか、目をそらすことで何がもたらされたのかを考えることだと思う。「絶望から出発しよう」という気分は根強い人気があるが、だったらまず徹底して絶望しなきゃいけない。まあ、本当に「絶望から出発」する必要があるかどうか、という問題が実は一番大きいのだが。
関西大学総合情報学部2007年卒。 卒業後「非同期」「主観事典」をテーマにした会社設立。パンデイロやvimなどの打楽器が好き。 Backbone.js 千利休 木村蒹葭堂