僕は仕事の理想とは
「全人格的な満足が得られるもの」
だと考えています。
ミュージシャンは、点―ten― P272 より
普通の人が麻痺していいことや
麻痺したほうが健康なことを、
麻痺せずに感じ続けなくちゃいけないことが
仕事なんじゃないのかな。
・ 「単なる知り合い」と「人脈」は全くの別物である。人脈とは、自分のことを高く評価してくれる権力者のことである。
・ 20代の時にあちこちに恩を売りまくっておけ。そいつらはいろんな組織で成長して権力を握り、30代半ばには、強力な人脈になる。
・ 自分とは違うタイプの優秀さを持った人間を「無能だ」と決めつけて切り捨てるのは、致命的な機会損失である。
・ 客観的なビジネスプランはたいてい役に立たない。自分の熱い主観を企画書にぶち込め。
・ みんなの良い意見を集めても魅力的な企画にはならない。優れた企画は、たいてい誰かの個人作品である。
・ プライドも建前もかなぐり捨て、身も蓋もない真実を徹底的に追いつめると、人々の感動を生むビジネスプランが出来上がる。
・ 「好きなことをやる」ことではなく、「やりたくないことをやらない」ことを優先しろ。
・ 自分の欠点だと思っていることが、他人から見ると長所になることは意外に多い。たとえば「自分の意見をもたない」人が「他人と衝突しにくい」という点が評価されて、組織の長に抜擢されたケースがある。
オレは最初から、「何でもやれますよ」と言っていました。それで来た仕事を全部やってきた。「その仕事は自分のイメージに合わないから」なんて言わない。仕事は断りません。それで必死に取り組む。だって、わざわざオレのことを探してきてくれた人の依頼を断るなんて、失礼じゃないですか。ただ、時にはお互い失敗もある。物理的な時間を超えて仕事を受けてしまうので、パンクすることもあるんです(笑)。プロ論。2 P100 より
その場で内藤社長は、ほとんど一方的にブログについて熱く語っていましたね。このあまりの情熱から察するに『この人は仕事を楽しんでいる人だな』と、ますます仕事に興味を覚えました。
人と話をすることと営業には、確かに自信がある。
でも、結局は、相手が喜んでくれる仕事を、
適正なコストで提案できるかだと思うけどね。
たとえば、19世紀の鉄道会社に勤めるある電信技師の話をしましょう。
当時、電信技師といえば花形職業と言われていました。今のIT企業と似ています。
その花形職業である電信技師の仕事は、しかしひどく退屈なものでした。
決められた時間に決められた信号「異常なし」を隣の駅に送るだけ。
まだ若かった彼はすぐに飽きてしまい、かわりに自動的に電信を送る装置を作りました。これはすぐに上司に発見されて怒られました。
それでもめげなかった彼は電信用中継器をどんどん改良していき、最後は電信された電文を文字として表示する電信表示器を発明し、特許を取得します。
その特許を大手電信会社に売却し、それを元でに彼は自分の工場を作りました。
もう誰だかお解りの方も多いかも知れませんが、これは20代前半のトーマス・アルバ・エジソンの軌跡です。
驚くべきことにコンピュータの仕事というのは、ほとんどがとても地味な仕事です。
僕はもともと3Dコンピュータグラフィックスを専門にしていたのでよく思うのですが、画像が1ピクセルも表示されないサーバープログラミングというのはとてつもなく地味な仕事なのです。
仕事というものは全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの二分は誰でも出来る。その二分人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない。
走りたいときに走る、疲れたら休む、そんな自転車旅行のように仕事をしよう、とある時僕は考えました。
関西大学総合情報学部2007年卒。 卒業後「非同期」「主観事典」をテーマにした会社設立。パンデイロやvimなどの打楽器が好き。 Backbone.js 千利休 木村蒹葭堂