それぞれの社会に最適な医学
その社会の制度や考え方が異なると、最適の医療技術が異なることがある。
背景
医学ってのは、「科学」というよりも、疾患の治療や予防という明確な目的をもった「技術」の集合である。
したがって、多くの技術分野と同様、同じ問題を解決しようとしていても、ビジネスモデルや社会制度によって最適な技術の種類が異なることがある。
医学の目的は、時代によらず、疾患の予防や治療、健康の増進などであるが、社会情勢によって、ある手段をとるときのコストは大きく変わるからである。
例1、外科医療
外科手術が普及したのは、ほとんどの国では、現代的な医師免許制度が確立した後のことである。外科手術が安全に行われるためには、国家のような権威ある機関が、専門技術を学んだものを選別する必要があったものと思われる。
もちろん、免許制度がなくとも、患者自身が自由市場で「良い外科医」を選ぶことは可能であるし、経済学の理論が教えるところでは、むしろ、そのほうが効率的ですらある。
しかし、おそらく、現実には、免許制度によって極端なヤブ医者が排除されているという状況ではじめて、多くの患者にとって外科医療を受けるという選択肢が現実的になるのであろう。
例2、伝統医学
伝統医学の項目参照。
近未来
比較的近い未来、僕たちの社会はIT技術によって、大きく代わってしまうだろう。インターネットは、患者の医療に対する考え方にも大きく影響を与えるだろう。グローバル化の中で、現在の国民国家の与えた医師免許などの「お墨付き」の意味は希薄になってしまうかもしれない。また、医療保険制度も医科大学や大学医学部での大学教育の意義も、大きく代わってしまうだろう。
そういう中で、近い将来の社会に最適な医学は、おそらく、現在の医学とは異なったものになるのではないだろうか。おそらく、その結果、近未来の医学の内容は現在とは大きく代わってしまうんじゃないか。これは、現在の医学が、科学的に間違っているとか、新しい医療技術が生まれて、医学のブレイクスルーがおこるとかいうわけではない。単に、社会が変わった結果、これまでの医学が教える治療法のコストパフォーマンスが相対的に悪くなり、消費者のニーズに答えられなくなるのだ。
僕は、比較的近い未来の社会に適した医学について、「主観医学」とか、「ニュース配信のような医療」みたいな言葉で考えている。