ジョゼフ・ケアリー・メリック(Joseph Carey Merrick, 1862年8月5日 - 1890年4月11日)は、ヴィクトリア朝時代のイギリスで身体の極度な奇形から「エレファント・マン」(The Elephant Man)として知られた人物。
まず最初に記載しておきたい事として安易に検索する事はお勧めしない。
なぜならば検索した結果ジョゼフ自身の姿を見て精神的な影をあなたに落とす可能性があるからだ。
それほどジョゼフの姿は衝撃的であり、印象深い物である。
〜Wikipediaからの引用〜。
イングランドのレスターに生まれる。生後21ヵ月の頃には身体に変形の兆しを見せはじめ、左腕などを除く皮膚、骨格の大部分に特徴的な膨張と変形を来した。11歳になる年に母を亡くし、症状の進行につれて仕事もままならなくなり、継母に疎まれて家を追われる。叔父のもとを頼るが、異様な風貌から行商もうまくいかず17歳で救貧院に入った。
数年の収容生活にも明るい見通しはなく、21歳のメリックは見世物興行に働き口を求めた。見世物小屋には陰惨なイメージがつきまとうが、後の回想によれば興行師には寛大に扱われたといい、実際に自活できるだけの収入も得ることができた。この売り込みのため「エレファント・マン」の名がつけられ、「妊娠中の母親が象に踏まれかけたショックのため」などと宣伝された。
しかし社会的に見世物小屋を排斥する風潮が強まるとロンドンを離れ、ヨーロッパを廻る興行に身を委ねざるをえなくなる。数か月後には職を失って貯えも取り上げられ、ようやくブリュッセルからロンドンに辿り着いたところを、以前に診察を受けたことのある医師フレデリック・トリーヴスに保護された。
その後ロンドン病院で健康を回復したメリックは、部屋をあてがうための寄付を募る投書がきっかけで広く同情を得、やがてアレグザンドラ皇太子妃の訪問を受けるなど上流社会である種の名声を得るようになった。
1890年4月11日、すでにかなりの衰弱をみせていたメリックは正午まで起き出さないのが通例になっていたが、研修医が午後の回診に来たときには仰向けに寝たまま亡くなっていた。27歳だった。死因は頸椎の脱臼あるいは窒息死とされ、一見したところ事故死であった。彼はその頭部の巨大さから普段はベッドの上に座り、抱えた両膝に頭を乗せるようにして寝ていたが、この日に限って仰向けに寝ることを試みたものとも言われる。フレデリック・トリーヴスは後に「エレファント・マンとその思い出」と言う本を著している。
死後、亡骸各部の石膏型および骨格標本が保存されて研究の対象となっているほか、いくつかの遺品は博物館で見ることができる。皮膚などの組織標本は第二次世界大戦下で失われた。
〜引用終わり〜
彼の27年間の人生は到底想像出来ないくらいの「苦難と絶望」の人生だったと思う。
医療の未発達による絶望感、または情報の隔離、遅延による閉鎖感、その中での27年間。
何を想い、そして考え短い生涯を終えたのだろうか?
「彼はその頭部の巨大さから普段はベッドの上に座り、抱えた両膝に頭を乗せるようにして寝ていた」
彼が仰向けで寝て最後を迎えたのは、「諦め」からくる自殺なのか「憧れ」からくるせめてもの行動だったのかは彼しか知らない。
人生とは数奇な運命で成り立っている。
せめて雲の上では人の目や喧騒の中から解き放たれて安らかな時を過ごしていて欲しいとただただ願うばかりである。
!注意!
Wikipediaのリンク先には所謂奇形した写真が載ってあります。
免疫の無い方、または弱い方は観覧しない事を御薦めします。
関連Link:
【映画】
http://www.zaziefilms.com/elephant_man/inf...
【Wikipedia】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%...