わかる
→分かる
ある概念が「わかる」というのには3つのレベルがある。
・解釈することができる(解釈レベル)
・人に説明することができる(変換レベル)
・他の概念で使うことができる(無意識レベル)
しかし、「わかる」には理解の度合いがある。正確に概念を使うためには理解している概念の意味が深くなければならない。人に説明できなくても、なんとなく使うことができるかもしれない。理解の深さ軸と意味の深さ軸の2次元グラフになるのか?
うーん、何が言いたいのかというと、「本当にわかっている場合には行動に移すことができる」んじゃないかということです。
例えば、寝坊するとプロジェクトがダメになるし、チームワーク乱れるし、ってわかっていれば寝坊はしない。逆に寝坊しても大丈夫だとわかっていれば寝坊する。
でも「寝坊するとプロジェクトがダメになるし、チームワーク乱れる」というテキストから寝坊しないためには意味を深く解釈しなければならない。「寝坊するとあの指示や作業ができないからスケジュールが○○日遅れるために○○な損害を受ける」というように元のテキストから意味を深く解釈することで、抽象的な判断要素から具体的な判断要素になる。
具体的にするというのは「分かる(頭の中で分けられている)」ということでもある。浅い意味というのは中がよく見えない。深い意味にすると中がよく見える。英語の"see"に「見える」だけでなく「理解する」という意味があるのはそういうことなのかも。中が見えると新たな事実が判明する。論理的に判断するためには前提として使える事実は重要になる。
テキスト上では浅い意味でも頭の中では深い意味が張り巡らされてるかもしれない。同じテキストでも各人が様々な理解と意味のレベルを持つのがコミュニケーションする上ではやっかいなところ。